日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童・池永レオ遼太郎さんインタビュー

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今回インタビューするのは、「太鼓芸能集団 鼓童」(以下、鼓童)のメンバー、池永レオ遼太郎さん。

1年の3分の1を海外公演、3分の1を国内公演、残りの3分の1を鼓童の本拠地である佐渡で過ごす(コロナ禍以前)太鼓芸能集団に所属する、プロの太鼓打ちです。そんな中でも、池永さんは、東京ドームの場内演出で使用される読売巨人軍とのコラボレーション楽曲第1弾「The Anthem」の作曲や、国内外の舞台で演出も手掛ける若手音楽家の一人。

アメリカ生まれでギターやロックバンド、チェロなどに触れ、一度は働いていた池永さんがなぜ、和太鼓演奏者になったのか?その理由や、太鼓打ちに必要なことは何かを伺いました。

費用対効果でみた「鼓童」という選択

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビュー

—アメリカ生まれの池永さんが太鼓に触れるきっかけはどんなことだったんですか?

太鼓をちゃんと始めたのは大学一年生の頃です。単純に、誘われて面白そうだったからですね。他にもギターやロックバンド、チェロもやっていました。親が弁護士だったので、将来自分は医者か弁護士、銀行員なんかになると思っていたんです。大学では経済学を勉強していたので、卒業した年の夏は投資銀行で働いていました。

—エリートな人生まっしぐらですね。挫折とかはなかったのですか?

入学した大学はアメリカの中でも「良い」とされる方の大学でした。そこで僕は全然勉強しなかったので大学一年生で落第しそうになったんです。その時「自分は天才じゃないんだな」って気づいたのは挫折かもしれません。それまであまり努力して生きてこなかったので。

大学で挫折しそうになって、そこではじめて「努力をしよう」と思ったんですが、努力の仕方がわからなかったんです。それで、「修行しなければ」と思い始めたんです。その挫折が鼓童に来るという大きなきっかけになりました。

—「このままでいいのかな」という気持ちがあったんですね。

人生このままでいったら、人間的にはすごいつまんない人になるなって思ったんです。どちらかと言えばまわりには成功者が多い方でした。成功者である彼らはお金を持っているほうなんですが、どこかしら不満や不安があるように見えました。

そんな彼らをみていて「お金を追いかけても別に幸せとは関係ないな」と思うようになりました。またちょうどその頃、東日本大震災や、大切な友人が亡くなるなど人生を考えるきっかけになることがいくつか起きたんですね。

そんな時に大学の太鼓チームの関係者に元鼓童の方がいまして、鼓童についてお話をきかせてもらうタイミングがありました。そのお話を聞いて鼓童が当時の自分の「努力しよう」という気持ちや、価値観が変わっていった自分にぴったりだと思い、鼓童の研修所に入ることを決めました。

—確かに、スマホもテレビも基本的になく、日々ストイックに太鼓と向き合う研修所は、修行というイメージがピッタリですね。

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビュー

あと、研修所で2年間修行するだけで世界中まわれる音楽演奏者の道があるなんて、すごい費用対効果がいいと思ったんです。

姉がピアニストで、自分もチェロをやっていたんですが、ベルリン・フィルハーモニーホールとか、日本ならサントリーホール、オーチャードホールで演奏できるのは、一握りの人のみなんです。クラシックは、小さいころからずーっと、例えば一日10時間練習していても舞台に立つのは厳しい世界なんです。

そういう意味で鼓童は、そういうのをすっ飛ばして2年の修行で叶う。クラシックには失礼なくらい簡単なものだなと思ったんです。自分は「修行」がしたいし、音楽家として可能性を掴むためにも、研修所が一番理にかなった場所だなと思い入ることに決めました。

鼓童「研修所」に修行にきて得たもの

—実際、研修所は自身の修行にはなりましたか?

なりましたね。鼓童は、地元の太鼓グループで一番うまい子がプロを目指してくる場所です。だから太鼓も僕が断トツで下手でした。でも、「出来ないことができるようになるのが楽しい」という、今までの人生であまり経験したことのない手ごたえのようなものを感じました。

—きつかったことはありますか?

言語の壁やカルチャーショックはありました。特に、和式トイレは初めてだったので驚きましたね。でも、自分で選んで行ったので「やめたい」とか「もうやだ」ということはありませんでした。

研修所で学んだのは、自分を変えないと周りは変わらないということ。周りの人に興味をもって、色々吸収しながら自分を良くすると、自分が人を動かす原動力(芯)になれることに気付きました。

そういう状態になると、まわりの人もその重力に引き寄せられて、どんどん良くなっていく。それがとても楽しいものでした。

鼓童の太鼓打ちに求められるもの

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビュー

—太鼓打ちになるにはどんなことが必要ですか?

もちろん、稽古するのは当たり前、がんばるのは当たり前、太鼓好きなのは当たり前っていうのは前提です。

その上で、鼓童の太鼓打ちになりたいのであれば、「探求心」は必要かなと思います。センスがどれくらいあるか、それをどれくらい磨けるかにかかっていますね。

それは、太鼓のセンスだけじゃなく、何に対してもいえます。例えば、夕日が美しいと思える心だったり、音楽を聞いてインスピレーションを持てたり、面白いなって思ってすぐ調べられるところだったり…幅広い意味での人間力を磨くセンスですね。

研修所でも「生活即舞台」という言葉があるくらい、僕たちはやはり、なにをしていても、なにがあっても、太鼓や舞台の表現活動につながります。

ドレミじゃなくて、太鼓の音は1つ、「ドン」だけです。だからこそ、そこに自分の思いやストーリーをどれだけのせられるかにかかってきます。バチを握っている人間の人間力が薄ければ薄いほど、薄い音になってしまう。

—良くも悪くも音で伝わってしまうんですね。プロとして気をつけていることはありますか?

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビュー

まずは、妥協しないこと。「これでいいや」って思わない。あとは、自分を引き上げてくれる人と一緒にいて、自分もまわりを引き上げていける人になるっていうのは強く思っています。最後は「さまざまな人と話す」ですかね。自分の世界が広がるよう、鼓童の内外の人たちともたくさん話すよう心がけています。

舞台以外の鼓童での仕事

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稽古期間中は、9時~12時半、14時~18時くらいまで全体稽古です。そのあと22時まで(今はコロナの影響で20時まで)は各自稽古。朝、全体稽古が始まる前も自分で稽古をする時間ですね。

—ずっと稽古ですね!ラジオや動画配信、作曲や演出などさまざまなお仕事もされているので、もっとそういう時間もあるのかと思ってました。

稽古以外の仕事は、稽古以外の時間でぱっぱとやっています。土日も出勤するし…仕事とはあまり思ってないかもですね。

—なるほど、仕事ではなく、ライフスタイルにより近いのかもしれないですね。演奏以外には、今、どんなことに注力されていますか?

ソーシャルメディアの部署を立ち上げて、動画作成や録音を全部自分たちでやっています。知識はありませんでしたが、誰かがやらないとと思って。単純にやれることが増えて楽しいですし、それに今はじっとしていられないんですね。

—今、鼓童もコロナ禍で舞台に立てない分、オンラインなどを含め、新しい可能性を模索しているのを感じます。

太鼓打ちは太鼓をたたいたり、何かを生み出し、作り続けていかないと頭がおかしくなるみたいな部分があるのかもしれません。大変ですけど、時代の変革にどこまでついていくかだと思うので、今は踏ん張りどころかなと思っています。

—今はラジオやSNSでも、メンバーの方もコメントのやり取りをされることが増えてらっしゃいますよね。

オンラインやラジオ、SNSも前からやりたかったんです。けど、単純に立ち上げる時間がなかった。だから今、舞台に立てない時間で立ち上げて軌道にのせるのが勝負だと思っています。オンラインのレスポンスも嬉しいです。けど、やっぱり僕たち太鼓打ちにとって一番大事なのは劇場で、生の音を出して、お客さんの生の反応を感じ取ること。

なので、オンラインコンテンツを通して、どうやって見つけてもらえるか、どうやって幅広いお客さんに届け、心を掴めるか、どうしたら劇場に足を運んでもらえるかを考えながら行っています。

見ていただいたら「すごい」と思ってもらえる自信がある。舞台で生の音を届けることからはぶれたくないです。

鼓童で少し先の未来にかなえたいこと

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビュー

—3年後こうなっていたい、やりたいというビジョンがあれば教えてください。

もっと鼓童をいい会社にしたい。僕らはプレイヤーですが、社員でもあります。だから、会社をよくするためにも実績を多く残して、鼓童内外ともに評価されるようにしたい。太鼓がうまくなることは、ライフゴールで常にやってることです。ただ、自分たちがいくら真面目に太鼓をやっていても、それをちゃんと人に届けられる環境がないと、続けることが難しくなる。

だから「持続可能で、効率よく、大多数に届けられる仕組みや組織作り」はこれからより、大事です。

—変化している実感はありますか?

メンバーは距離が近い分だけ、意識の変革を感じます。なにをしても、手をあげてくれるのはメンバー。それが過半数になるのが理想ですね。良くも悪くも、僕も中堅になってきたので、今欲しいのは「どんどん変える力」です。

舞台の方もそれなりに安定してきて、だんだんと、自分がそういうことに手が届くようになってきた。僕が好き勝手やっていることにも、手ごたえを感じるようになってきました。

そして何より、太鼓音楽をもっと広めたい。太鼓界と鼓童の発展に寄与したい。

今年30歳ですし、今が一番ふんばりどころだと思っています。

40周年記念公演「鼓」の動画はこちら

池永レオ遼太郎さんインタビューを終えて

池永さんにハマっていることをきくと「早寝早起き」という答えが返ってきました。

一見、ストイックな印象を受けましたが、好きな太鼓をたたき、世界中をまわり、それを生業にしている彼らの太鼓を打つ姿を見ると、そういう生活が最善だというのもよくわかります。

今池永さんが一番行きたいのは、ピザやパスタ、ワインの美味しいイタリアだそう。異国の建物や歴史からインスピレーションを受け、美食で腹を満たし、それらを活力に、彼らがまた、世界中の舞台で太鼓を響かせる日が早く来て欲しいです。

池永レオ遼太郎さんプロフィール

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビューコーネル大学で大学1年生から太鼓を始め、学内の太鼓グループで活動。2013年研修所へ入所。2016年よりメンバーとなる。舞台では主に太鼓、笛を担当。旋律楽器も得意とし作曲にも力を注ぐ。2015年「打男」浅草公演、「永遠」「混沌」国内ツアーに参加。「混沌」ではフルートを演奏。2016年、「螺旋」国内ツアー、「打男」ブラジルツアーに参加。2017年、「坂東玉三郎がいざなう鼓童の世界」、「幽玄」で坂東玉三郎氏と共演。「打男」北米、国内ツアー参加。2017年の「アース・セレブレーション」で「鼓童若手連中」を初演出。2018年にはフランスの太陽劇団の招聘により「Kodo Next Generation」としてパリで再演を行った。また「道」では楽曲「雪代」を提供し演出補佐を務めるなどNext Generation(次なる世代)としての期待も高い。

この記事を書いた人

日本が誇る太鼓打ちになるには?鼓童池永レオ遼太郎さんインタビュー

さかもとみき
1986年高知生まれ。広告代理店や旅館勤務を経て、ライター・恋愛コラムニストをしています。

 

 

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